岡山地方裁判所 昭和37年(ワ)453号 判決 1965年5月31日
原告 西山茂樹
被告 片山工業株式会社
主文
被告が昭和三七年九月一日原告に対してなした解雇の意思表示は無効であることを確認する。
被告は原告に対し昭和三七年九月一日から毎月末日限り一ケ月金九、三五〇円の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決第二項は仮りに執行することができる。
事実
第一、申立
一、原告
主文同旨の判決および仮執行の宣言を求める。
二、被告
「原告の請求はいずれもこれを棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。」
との判決を求める。
第二、主張
一、原告の請求原因
(一) 被告は従業員約五〇〇名をようするサツシユ等の製造会社であり、原告は昭和三四年九月三日被告会社に雇傭されてその工員となつたが、被告は同三七年九月一日原告に対し同日付で解雇する旨の意思表示をした。その理由は次のとおりであつた。
(1) 現在まで班長・守衛または上司より度々規則に決められている安全なる靴・帽子等を着用するよう注意を受け、また作業中歌の本等を見たり、上司の命令指示を遵守せず、生産を妨げ職場秩序を守らない。
(2) 時間外協定をしているにもかかわらず、業務命令を守らず生産に協力しない。
(3) 八月二一日正午、一五時の休けい時に会社の施策に反対する文章を書いた印刷物を会社の許可なく社内に配布し、職場秩序を乱し、善良なる社員を煽動せんとする行為があり、また生産に大きな妨げをしようとせしもの。
(二) しかしながら右の(2)は法律上解雇の理由にならず、(1)および(3)のような事実はないから、右解雇は無効である。
(三) そして原告は右の解雇通告を受けた当時一日金四二五円の基本給で毎月少くとも二二日以上稼動し、給料は毎月末日に一括支給されていた。
よつて原告は右解雇が無効であることの確認を求めるとともに、被告に対し原告が解雇の通告を受けた昭和三七年九月一日から毎月末日限り一日金四二五円宛の給料二二日分である金九、三五〇円の支払いを求める。
二、請求原因に対する被告の答弁
請求原因(一)および(三)の各事実は認める(ただし従業員は五四〇名)。
三、被告の抗弁
(一) 被告の原告に対する解雇の理由は原告主張のとおりであるが、これを具体的に示すと次のとおりである。
(1) 被告会社においては作業中の災害を防止し、安全を保持するために昭和三六年九月一日制定した「社是及び社員心得」に
「帽子は制定のものを必ずかぶること」
「作業用履物は全部靴を使用すること」
と明記してその使用を指示し、さらに同三七年二月には安全靴(緑十字製)の使用を指示して、これを使用し得ない場合にはその旨上司に届出でてその許可を得ることとした。ところが原告は右の安全靴を購入しておりながらこれを使用しなかつたので、班長や守衛から再三注意し安全靴を使用するよう指示したが、原告は反抗的態度を示してこれに従わず、かつ使用しないことについての許可も受けなかつた。帽子についても同様であつて、ことがらは所定の帽子や靴を使用するかどうかの問題であるが、右の指示に従わなかつたことは職務についての上司の指示に反抗して職場秩序をみだしたものというべきである。
また原告は就業時間中職場において歌の本を見たり無断で職場を離れることも多かつた。
(2) 被告会社は昭和三七年三月一日被告会社労働組合との間に労働基準法三六条にもとずく時間外労働についての協定(いわゆる三六協定)を締結し、これにもとずいて月々出勤予定表を作成してこれを各職場に示し、各職場ごとにその作業工程に応じて残業を指示していたが、原告はしばしば残業の指示を理由なく拒否して就業時間終了後直ちに帰宅し、あるいは胃腸が弱いといつて残業をせずにピンポンやソフトボールに興じていた。これは明らかに業務命令に反する行為である。
因みに原告の残業時間は昭和三七年七月は五・五時間(職場平均七四・八時間)、同年八月は一三・五時間(同二六時間)であつて、他の従業員に比して著しく少なかつた。
なお被告会社には右の三六協定締結当時ひとつの工場(本社工場)しかなかつたが、その後新工場を建設し、原告は新工場において就労していた。しかし本社工場は新工場の竣工にしたがつて逐次移転し、昭和三七年九月頃にはひとつの係を残して事務所および工場の大部分は新工場に移転したものであつて、新工場という本社工場とは別個の事業場が設けられたものではなく、単に就労場所を移転したにすぎない。したがつて本社工場に適用されていた三六協定が新工場に適用されるのは当然である。
(3) 被告会社においては後述のとおりその就業規則六三条七号において会社内で許可なく印刷物を配布することを禁止しているが、この規定は就業時間中であればもちろんのこと休けい時間中であつても会社構内である限りこれを禁止する趣旨である(休けい時間といえども無制限にその自由使用が許されるべきものではなく、事業場の規律保持のため必要な制限を加えることは何ら違法ではない。)。
ところが原告は昭和三七年八月二一日の正午および一五時の休けい時間中に印刷物(乙第五号証)を会社の許可なく社内に配布したが、その内容は被告会社が行つていた生産性向上に関する施策、特に人事管理についての提案制度・人事相談・苦情処理機関等の具体的事例を挙げ、これらはいずれも会社が労働者を懐柔し、手なずけ、その搾取をいつそう強めるための技術・手段にほかならないとしてこれを誹謗するものであつた。
原告もその組合員であつた労働組合は被告会社の右諸施策の推進について協力していたのであるから、原告の右印刷物による主張は組合のそれに反する独断的行為であつて、組合活動として保護される性質のものではなく、その記載内容からして単に会社の労務対策を批判して自己の意見を表明したものということもできないのみならず、会社の名誉・信用を著しく毀損し、かつ従業員をして会社に対する反感を助長させ、かつ会社の経営方針およびその施策について真実と全く異つた印象を与え、もつて従業員に動揺を与えて作業意欲を喪失させ、会社の業務遂行を阻害しようとしたものであることは明らかである。
(二) ところで被告会社においては昭和三五年一月一日就業規則を制定して同日から実施していた(乙第一二号証)が、同三七年三月二〇日そのうち懲戒に関する部分を別紙(一)のとおり改正して同日から実施し、他の部分は同年一二月一日改正して実施した。
そして被告会社は右就業規則六五条にもとずいて別紙(三)のとおり「表彰懲罰委員会規程」を制定して同年五月一日から実施した。
(三) しかして原告の前記(一)所掲の各行為のうち
(1) は就業規則六三条五号・六四条八号・一〇号および一二号に
(2) は同六四条八号・一〇号および一二号に
(3) は同六三条七号・六四条八号・九号および一七号に
それぞれ該当するので、被告会社は昭和三七年八月三一日招集された懲罰委員会に原告に対する懲戒の件を付議したところ、同委員会において原告の将来を考え解雇処分とする決定を得たので、翌九月一日、同日付文書をもつて原告にその旨通告したものである。
以上の次第で原告に対する解雇の意思表示には何らの違法もないから原告の本訴請求は失当である。
四、抗弁に対する原告の答弁および反対主張
(一) 抗弁(一)について
(1) (1)の事実中被告会社において作業中所定の帽子および安全靴を使用するよう定められていたこと、本件解雇当時原告が所定の安全靴を使用していなかつたことは認めるが、その余の事実は否認する。
(イ) 被告会社において使用するよう定められていた帽子は布製の野球帽型の普通の作業帽であり、安全靴は先端に金具を入れてつま先をつぶさないようこれを保護する構造のものであつたが、原告の職場においては右の帽子および安全靴を使用することが安全保持のうえからさしせまつて必要というものではなく、会社としてもなるべくこれを使用するようすすめる程度で厳格に励行されていたわけでもないのであつて、本件解雇当時これを使用していない従業員は他にも多数あつた。労使関係においてはもとより現実の慣行が重視されなければならないところであるが、かかるゆるやかな規律のもとにおいてこれに従わない従業員が多数ある中で原告ひとりのみをとりあげ、これを理由として懲戒処分を加えるのは就業規則の適用を誤つたものといわなければならない。
(ロ) しかも右の帽子および安全靴は同様に使用するよう定められている作業衣・軍手等とともに一部会社の補助を受けるが有料である。しかし会社の従業員に対する要求事項が従業員の経済的負担を要する場合には従業員の同意を要するものというべきであつて、従業員の同意なくして経済的負担を要する事項を強要するのは従業員の財産権およびその自由を不当に侵すものとして違法である。
(ハ) 原告が本件解雇当時所定の安全靴を使用していなかつたのはその頃足先に水虫を患つていたこともあるが、安全靴を購入するには会社の補助を受けてもなお金一、〇〇〇円の出費を要したところ、日給四二五円の原告にとつては一ケ月の収入の一割にも当るこのような多額の経済的負担にたえ難かつたことにもよるのであつて、職場の秩序を乱す等の悪意に出でたものではない。
(ニ) また歌の本を作業中に見たことがかりにあるとしてもそれだけでは解雇理由になりえない(官庁を含めた一般の事業場で執務時間中に新聞や週刊誌等を読んでいる姿はよく見うけられるところである。)。
(2) (2)の事実中被告会社とその労働組合との間に時間外労働についてのいわゆる三六協定が締結されていたこと(ただし口頭による)、原告の残業時間が他の従業員に比して少なかつたことは認めるが、その余の事実は否認する。
(イ) ところで労働時間については、労働条件の基本的な部分として、また人道問題につながるものとして、協定さえ結べば残業できるなどわが国の労働時間についてのルーズな法制および労働慣行に対し最近各方面から問題視されているところからも、労働基準法における労働時間に関する規定は特に厳格に解釈運用されなければならないところ、いわゆる三六協定は各事業場毎に締結されなければならないとされているのであるが、被告が昭和三七年三月一日に成立したという三六協定は被告のいわゆる本社工場について締結されたものであつて、本社工場から一粁以上離れた場所にあつて、本社工場とは別の事業場であり、しかも右協定成立後の同年四月から繰業を始めた新工場において就労していた原告に対しては右協定の効力はおよばず(新工場については三六協定はなされていない)、したがつて原告に対する残業命令がかりになされたとしても、右協定によつてこれを正当化することはできない。
(ロ) のみならず労働基準法三六条は同条所定の協定が締結された場合には時間外労働を命じても同法三二条違反として同法一一九条により罰せられることがないとしたにとどまり、その協定をもつてしては当然に従業員に対し時間外労働を命ずる根拠にはなりえないのであつて、従業員はこれに拘束されるいわれはないのであるから、この点についての被告の主張はそれ自体失当である。
(3) (3)の事実中原告が被告主張の日時に被告会社内でその主張の印刷物を会社の許可なく配布したことは認めるが、その余の事実は否認する。
(イ) 原告が右の印刷物を配布したのは、青年労働者として自己の真摯かつ建設的な意見を同じ労働者である仲間の従業員に発表し、従業員間における労働者としての意識をたかめ、労働組合活動を強化しようとする目的に出でたものである。すなわち当時の被告会社労働組合は御用組合的色彩が濃厚であつて、例えば昭和三七年六月の夏季手当の要求において組合執行部は組合員の反対にもかかわらず会社案に賛同し、組合員に対し執行部の総辞任をかけてまで会社案を受入れるよう説得する始末であつた。このようなことから何とかして組合をたて直さなければならないと考えた原告はまずその手始めとして本件の印刷物を出身中学校のがり板を借用するなどして作成したうえ、八月二一日の正午の休けい時に会社の食堂その他で約二〇部を個別的に手渡したものである。
(ロ) そしてその内容は仲間の労働者に人間としての、また労働者としての誇りを喚起し、労働者階級としての意識の向上を訴えたもので、自己の歴史観・社会観を表明した部分もあるが、その表現は抽象的で被告会社の施策を不当に誹謗する部分は全くない。またその記載に被告会社の労務対策と相容れない部分があるとしても、組合員たる労働者あるいは従業員が会社の労務対策を批判し、これに対する自己の意見を表明することは自由であつて、これが労働者の団結権および表現の自由という基本的人権の正当な行使である以上何ら不都合はない。
(ハ) またその配布部数も少なく配布方法に格別とがめられるべき点はないのみならず、原告が配布したのは被告も主張するとおり休けい時間中のことであつて、労働基準法三四条三項により原告は休けい時間を自由に使用しうるところである。かりに被告会社の就業規則にこれを禁止した規定があるとしても、会社が一方的に作成する就業規則によつて休けい時間使用の自由や労働者の団結権ないし表現の自由を束縛することはできないところであるから、いずれにしても印刷物の配布をもつて懲戒事由とすることはできない。
(二) 同(二)の事実は認める。
(三) 同(三)の事実は否認する。
五、原告の再抗弁
かりに原告に被告主張の事由があるとしても、本件解雇は次の理由によつてなお無効である。すなわち
(一) 被告が本件解雇の根拠とする別紙(一)記載の懲戒に関する就業規則は無効である。
1 (1) 被告は右就業規則の作成(変更)についてこれを行政官庁(労働基準監督署)に届出せず、
(2) その作成について、被告会社労働組合の意見を聴かず、
(3) また右就業規則は被告会社事務室に書き流しのものが一部おかれていただけで本社工場・サツシユ工場・メツキ工場等の事業場には掲示・備えつけ等労働者にこれを周知徹底させる方法は全くとられなかつた。
2 右は労働基準法八九条・九〇条および一〇六条に違反するが、右法条所定の手続を経ることは就業規則の有効要件と解すべきであるから、これに違反する右就業規則は原告その他の従業員を拘束する規範としての効力を有しない。したがつて右就業規則改正前に存在したという就業規則を適用するのならば格別、無効な新規定を適用した本件解雇の意思表示はその根拠を欠いて無効である。
(二) かりに右就業規則が有効であるとしても、本件解雇は右就業規則所定の解雇手続にも違反する。
1 被告がその抗弁において主張するとおり、右就業規則六五条には
「懲戒は社長これを懲罰委員会に諮つて決定する。
懲罰委員会に関する規定は別に定める。」
とされており、これにもとずいて制定された「表彰懲罰委員会規程」六条には
「委員は事件に関する調査評議を行う。ただし委員が次の各号のいずれかに該当する場合は委員会に出席することができない。」
とあり、その二号として
「委員が被査問者と所属(工場または係)を同じくするとき。」
と規定されている。
2 ところで原告に対する懲戒に関する懲罰委員会は会社側五名・従業員側四名(一名欠席)の各委員をもつて構成されたが、このうち従業員側委員三名(大山勝美・仲井茂・池田寛一)はいずれも原告と同じサツシユ工場に所属していて、委員たる資格を有しなかつたにもかかわらず、これを出席させたまま評議決定したものであつて、右は前記就業規則六五条の規定に違反して無効である。
(三) 本件解雇は労働協約に違反する。
1 原告は被告会社従業員をもつて組織されている片山工業労働組合の組合員であるが、被告は昭和三七年三月一九日頃右労働組合との間に労働協約を締結した。しかしてその一二条には
「懲戒は譴責・減給・出業停止および懲戒解雇とする。ただしその場合は組合と協議のうえ決定する。解雇の場合は解雇手当を支払わない。」
と規定されている。
2 ところが原告に対する解雇については右のいわゆる事前協議を経ていないから、本件解雇は無効である。
3 なお前項の懲罰委員会はこれに関する規程の規定自体およびこれが後日就業規則とともに労働基準監督者に届出でられたことなどからして、就業規則六五条にもとずく社長の諮問機関たる委員会にすぎないものというべく、右委員会に付議されても労働協約上の事前協議がなされたということはできない。
(四) 本件解雇は原告の政治的信条を理由として差別的取扱をしたもので、強行法規たる労働基準法三条に違反する。
1 原告は本件解雇がなされる以前から、その思想的側面においてマルクス・レーニン主義に共鳴し、これについての学習および実践を目的とする団体である日本民主青年同盟(民青と略称する)の活動に参加していた。
2 本件解雇は被告が解雇理由の(3)において主張する印刷物の配布をその決定的な理由としてなされたものであるが、右印刷物の記載内容をみれば、原告が特定の思想的団体に加入していて、しかもそれが被告会社の労務施策上好ましくない傾向の思想であることは充分うかがえるところであつて、本件解雇はその表面上の理由にかかわらず、実質的には原告が民青に賛同し、被告会社にとつて好ましからざる思想を信奉していることを理由としてなされたものである。このことは原告が右の印刷物を配布した後被告会社代表者が原告を呼びつけて民青との関係を問いただしたこと、被告会社勤労課長中島運もその頃二度にわたつてこの問題につき原告を追及したことおよび解雇の数日後右中島が原告に対して将来思想的活動をしないならば再採用の途もある旨述べたこと等からしても明らかである。
したがつて本件解雇は原告の政治的信条を理由としてなされた差別的取扱であるから、労働基準法三条に違反して無効である。
六、再抗弁に対する被告の答弁および反対主張
原告主張の無効事由はいずれもこれを争う。すなわち
(一) 再抗弁(一)につき
1 被告が就業規則中の懲戒に関する部分の変更について労働基準監督署にその届出をしていなかつたことは認めるが、その余の事実は否認する。
2 元来就業規則は使用者にその制定・変更の権限があるが、その制定・変更については行政監督上労働者の意見を聴き、その意見書を添付して行政官庁(労働基準監督署)に届出で、かつこれを労働者に周知させる方法をこうずべき義務が課せられているのであるが、
(1) 就業規則の制定・変更について行政官庁への届出を命ずる労働基準法八九条一項は単なる取締規定にすぎないから、これを怠つても就業規則の効力には影響がなく、
(2) 本件就業規則の懲戒に関する部分の変更については、被告は昭和三七年三月二〇日前記懲罰委員会規程案とともに労働組合に提示してその意見を聴いたところ、組合は各職場から選出された約三〇名の代議員(原告もその一人)からなる代議員会に諮つて逐条審議したうえ会社案を承認したので被告においてこれを制定し、
(3) これを会社事務所等の主要場所に備えつけるとともに、組合に対しても必要部数を交付したものであつて、右組合の規約一七条五号には
「代議員会はすべて議決につき総会に対して責任を負うものとし、決定事項は、これを組合員に周知徹底させなければならない。」
と規定されているところからしても、会社の周知方法には何ら欠けるところがない。
(4) かりに被告において右就業規則部分の変更について労働組合の意見を聴取せず、かつその周知方法をこうじなかつたとしても、これらの義務を定めた同法九〇条一項・一〇六条一項はいずれも前記の届出義務を定めた同法八九条一項と同様単なる行政監督上の取締規定にすぎないから、これを怠つた使用者が同法所定の罰則の適用を受けることはあるとしても、このことだけで就業規則の効力が左右されるものではない、
(二) 同(二)につき
1 1の事実は認める。
2の事実中大山勝美・仲井茂・池田寛一が原告と同一のサツシユ工場に所属していたこと、原告に対する懲戒に関する懲罰委員会に右の三名が従業員側委員として出席したことは認めるが、その余の事実は否認する。
2 懲戒委員会の委員は会社側四名、従業員側五名で全員出席し、原告に対する懲戒の件は全委員一致で決定された。
3 表彰懲罰委員会規程六条二号に、所属として「工場または係」と規定されているのは、被告会社に他の各係と略同等の一単位として独立した鍍金工場があつたためにこれを指して「工場」としたものであつて、右の例外を除いては各係を一単位として所属が同一なりや否やが決せられるべきものなるところ、この意味において原告と同一係に所属する委員は仲井茂のみであり、右仲井が出席したのは他に同人の関与しうる議案もあり、原告の件についてだけ退席することもないではないかとの他の全委員の意見によつて、審議については発言せず表決にも加わらないという条件で在席したにすぎない。そして同人が原告の件を含む委員会議事録に委員として署名押印したのは原告の件以外の三議案も一括して議事録が作成されたためであつて、このような運営上の変更は、前述のように会社と労働組合との協議によつて設けられた同委員会においては、全委員の了解をえた以上当然に許されることである。
4 また前記委員会規程六条二号が被査問者と所属を同じくする委員の出席を禁じた趣旨は、当該委員が同一職場の被査問者を殊更に庇護して審議の公正を害することのないようにとの配慮に出でたものであつて、この趣旨からいえば原告と同一係に所属する仲井委員が出席したことは、原告にとつて利益であつても不利益ではないから、仲井が審議・表決に加わつたとしてもこれを無効とすべきではなく、かりに仲井の出席が許されないとしても原告に対する懲戒の件は前述のとおり全委員一致で決定されたのであるから、仲井を除外してもその要件に欠けるところはない。
5 かりに仲井が出席した右委員会の決定が前記規程六条二号に違反するとしても、懲罰委員会は単なる社長の諮問機関にすぎないから、右のかしのために同委員会の審議・決定が無効となるものではなく、まして原告に対する解雇が無効となるいわれはない。
(三) 同(三)につき
1 1の事実は認める(ただし締結は同月二〇日)。
2および3の事実は否認する。
2 被告会社がその労働組合と協議して設置した前記懲罰委員会は、前述のとおり就業規則にもとずく諮問機関であるが、同時に労働協約一二条ただし書にいう協議機関でもある。
3 しかして被告は原告に対する本件懲戒解雇の件につき組合員である従業員側委員と協議して前述のとおり全会一致でこれを決定したのであるから、右協約上の事前協議義務はつくしている。
(四) 同(四)につき
1 1の事実は知らない。
2の事実中印刷物の配布が本件解雇理由のひとつであること、被告会社代表者片山覚而および勤労課長中島運が原告とそれぞれ会したことのあることは認めるが、その余の事実は否認する。
2 原告は民青に加入していることを極力秘匿していたから被告はこれを知るに由なく、したがつてその思想を嫌忌していたこともない。原告の印刷物の配布については被告の抗弁の項で詳述したとおりの次第で解雇理由とされたもので、これを作成した原告の思想を理由としたものではない。
3 また被告代表者片山覚而が原告と面会したのは右片山が原告の父と同郷でしかも同級生であつたところから、原告を呼んでその勤務態度につき注意したもので、これは印刷物配布前のことであり、また中島は原告から本件の解雇理由を問われて二、三応答しただけである。
七、被告の再々抗弁
(一) 被告会社の就業規則中昭和三七年三月二〇日に改正した懲戒に関する新規定が原告主張のとおり無効であるとしても、同三五年一月一日に制定・実施した就業規則中四五条(旧規定)には別紙(二)記載のとおりの規定があるところ、被告が抗弁の項において詳述した原告の各行為はそのロおよびホに該当するから、原告に対する本件解雇は右旧規定によつても有効である。
(二) かりに新規定が無効であり、旧規定は適用されないとしても、本件解雇は被告の有する懲戒権の行使として有効である。すなわち、
1 一般に企業は労働力を有機的・組織的に結合して企業活動を営むものであるから、その労働力を提供する労働者に一定の規律ないし秩序を守るべきことを要求しうるのは当然であつて、使用者は職場の規律ないし秩序に違反しこれをみだした労働者に対して懲戒権を行使してこれを企業から排除しうるところであり、この懲戒権は就業規則において懲戒の基準ないしその手続等について規定していると否とにかかわりなく当然これを行使しうるものである。
2 しかして被告がその抗弁の項において詳述した原告の各行為は職場の規律に違反してその秩序をみだすものであること明らかであるから、被告は原告に対して懲戒権を行使しうべく、被告において前記労働協約一二条所定の労働組合との事前協議を経てこれを解雇したものである以上本件解雇は懲戒権の行使として有効である。
八、再々抗弁に対する原告の答弁および反対主張
1 再々抗弁(二)の主張は争う。
2 かりに就業規則が存在しない場合においてもなお企業の運営・秩序維持のために懲戒権を行使しうるとしても、その範囲は就業規則所定の懲戒事由よりもはるかに狭く、企業存続のために必要な最少限度においてのみ認められるべきであつて、原告の各行為は被告主張の就業規則所定の懲戒解雇事由にも該当しないこと抗弁に対する答弁の項において詳述したとおりであるから、もとより懲戒権行使の対象となる事由ではなく、いずれにしても本件解雇は無効である。
第三、証拠関係<省略>
理由
第一、解雇無効確認請求について
一、(一) 原告は昭和三四年九月三日サツシユ等の製造を業とする被告会社にその工員として雇傭された労働者であること
(二) 被告が同三七年九月一日原告に対し
(1) 現在まで班長・守衛または上司より度々規則に定められている安全なる靴・帽子等を着用するよう注意を受けまた作業中歌の本等を見たり、上司の命令指示を遵守せず、生産を妨げ、職場秩序を守らなかつたこと
(2) 時間外協定をしているにもかかわらず業務命令を守らず、生産に協力しなかつたこと
(3) 八月二一日正午・一五時の休けい時に、会社の施策に反対する文章を書いた印刷物を会社の許可なく社内に配布し、職場秩序を乱し、善良なる社員を煽動せんとする行為があり、また生産に大きな妨げをしようとしたことを理由として同日付で解雇する旨の意思表示をしたこと
(三) 被告会社は同三五年一月一日就業規則を制定して同日から実施していたが、その四五条には従業員に対する懲戒について別紙(二)記載のとおりの規定(旧規定)がなされていたこと
(四) 被告会社は同三七年三月二〇日右就業規則の懲戒に関する部分を別紙(一)記載のとおりの規定(新規定)に変更して同日からこれを実施し、その余の部分は同年一二月一日変更して同日から実施したこと
はいずれも当事者間に争がない。
二、しかして証人中島運の証言(第一、二回)および弁論の全趣旨によれば、原告に対する右解雇は原告の前項掲記の各行為が右変更後の就業規則所定の懲戒解雇事由に該当するとしてなされたものであることが明らかであつて、これに反する証拠はない。
三、そこで原告は右就業規則の新規定は労働基準法所定の手続を履まずに制定されたものであるから無効であると主張するので検討する。
(1) 意見聴取について
労働基準法九〇条一項の趣旨は、就業規則の制定・変更や内容の決定を使用者の欲するままに放置するときは、劣悪な労働条件と苛酷な制裁が課せられる危険があるところから、服務規律その他の労働条件の決定および経営権の行使について労働者に意見を表明する機会を与えて使用者の専恣を防止するとともに、労働者の労働条件に対する関心をたかめて組合運動をつうじての労働条件の協約化を指向するにあるものというべきところ、同法が労働条件の対等決定(二条一項)、労使双方による労働条件の向上の努力(一条二項)を要望している点をも考え合わせると、就業規則の制定・変更についての労働者の意見の表明はきわめて重要な意味をもつものといわなければならない。
そうすると同法九〇条一項は単なる行政上の取締規定と解すべきではなく、使用者が一方的に制定・変更する就業規則が労働者をも拘束する法的規範としての効力を発生するための有効要件を規定したものと解するのが相当である。
(2) 届出について
労働基準法は使用者が就業規則を作成し、変更したときは、行政官庁に届け出るべきこと(八九条一項)および右届出には、労働者の意見を記した書面を添付すべき旨(九〇条二項)を定めているけれども、就業規則は使用者が労働者の意見を聴いて作成し、後記説示のようにこれを労働者に周知させたときに効力を生ずるものと解すべきであつて、その届出は、国の労働問題に対する後見的機能を遂行する必要上要請される性質のものであるから、右届出義務を定めた前記の規定は、取締規定にとどまり、これを欠いても就業規則の効力には影響のないものと解すべきである。
(3) 周知について
労働基準法は、就業規則の効力発生の手続(法律でいうと公布にあたるもの)について明文の規定を設けていないが、就業規則が労働者を拘束する法的規範としての効力を持つ以上は、それが労働者に周知されなければならないことは条理上当然のことであつて、労働者に周知されていない就業規則は右のような効力を発生するに由ないものといわなければならない。しかしてその周知の方法は、労働基準法に定められていない(同法一〇六条の周知義務は、直接これを定めたものと解することはできない)のであるから、実質的に労働者に周知させるに足りるだけの方法をとれば足り、必ずしも労働基準法一〇六条所定の周知方法によらなければならないものではない。
そこで被告が原告に対する本件の解雇においてその根拠として適用した前記就業規則中の新規定は労働基準法所定の右各要件を具備するかどうかが吟味されなければならない。
(1) 意見聴取について
いずれも成立に争のない乙第一号証の一および三(原本の存在とも)、同第六号証、同第一〇号証の一、二(各原本の存在とも)、証人早川克治の証言によつて真正に成立したものと認められる同第七号証に証人早川克治・同三宅周一・同中島運(第一回)の証言の各一部に弁論の全趣旨を綜合すれば次の事実が認められる。
(イ) 被告会社においては昭和三六年一〇月頃その過半数をこえる従業員によつて「片山工業労働組合」が結成されたが、会社との間に労働協約の締結がなく、したがつて労働委員会の資格審査も経ていなかつたので、右組合は労働委員会の資格審査を受けて法人格を取得するために同三七年三月上旬頃当時の書記長早川克治および執行委員石井護の作成した原案をもとに、組合の決議機関である代議員会(各職場単位で選出された代議員をもつて構成する)に諮つて逐条審議して協約案を確定し、被告会社にこれを提示してその締結方を求めたところ、会社はこれを承諾して同月二〇日組合の提示した案のまま労働協約が締結された(乙第六号証)。
(ロ) ところで右協約一二条には
「懲戒は譴責・減給・出業停止および懲戒解雇とする。ただしその場合は組合と協議のうえ決定する。」と定められたが、組合は右協議機関に関する規定案の作成を会社の労務担当者に一任することにした。
(ハ) 一方被告会社においては昭和三五年一月一日制定の就業規則(旧規定)の整備改善方を監督行政機関から勧告されていたところ、同三六年九月被告会社総務部勤労課長に就任した中島運は着任後間もなく右就業規則の各章別に、改正案の作成に着手して、同三七年三月頃までには従業員に対する懲戒規定の改正案の作成をほぼ終つていたので、労働組合が代議員会で協約案を審議していた頃、右改正案を組合役員に示してこれに対する組合としての意見を求めた。
(ニ) 右改正案について組合はその代議員会で前記の労働協約案と併せて審議したが、協約案一二条に定める懲戒についての事前協議条項を就業規則にも加えるよう会社に要求したところ、会社はこれを容れてその六五条にこれに関する条項を設けたので、組合は同月二〇日会社に対し右改正案に異議はない旨回答した。
(ホ) その後前記中島勤労課長は労働協約一二条および改正された就業規則六五条にもとずく事前協議機関として会社側・組合側双方の代表からなる懲罰委員会の設置を定めた「懲罰委員会規程案」(乙第一号証の三)を作成して組合に提示し、組合はその代議員会で審議して、原案においては、委員の数が会社側・組合側とも四名の同数であつたものを組合側五名に増員することを要求し、これが容れられたので、同年四月二〇日頃これを承認し、会社にその旨通告した。
右認定に反する証人後藤郁雄・同西山昌之の各証言部分および原告本人尋問の結果の一部は前顕各証拠にてらして措信できず、他にこれをくつがえすにたりる証拠はない。
右認定の事実によれば、被告は右就業規則の変更について、労働者の過半数で組織する労働組合の意見を聴いたものというべきである。
(2) 届出について
被告が右就業規則の変更について行政官庁(労働基準監督署長)にその届出をしていなかつたことは当事者間に争がない。
(3) 周知について
被告は右変更にかかる就業規則を会社事務所等の主要場所に備えつけるとともに組合に対しても必要部数を交付したと主張するが、右主張を確認するに足る証拠は存しない。
しかしながら、当時被告会社の労働組合が過半数をこえる従業員によつて結成されていたこと、右労働組合においては各職場単位で代議員を選出しこれら代議員をもつて代議員会を構成していたこと、前記中島課長は就業規則(旧規定)の改正案を組合役員に示して意見を求め、組合においては右代議員会にこれを付議して審議したうえ、委員の数の点について変更を求め、これが容れられるや、右改正案に異議ない旨を回答したことは前記のとおりであり、成立に争のない乙第一一号証、証人早川克治の証言によつて真正に成立したと認められる乙第七号証と証人早川克治、同中島運(第一回)、同柏原史郎の証言によれば、右中島は右就業規則改正案につき意見を求めるに際しては、その写しを一〇部位組合の書記長に手交し、これを審議したうえ、もしこれでよければこれを組合員らに知らせて欲しい旨申し入れたこと、右労働組合の組合規約には、代議員会は決定事項を組合員に周知徹底させなければならない旨の定めが存すること(一七条5)、同年四月二〇日労働組合では、労働協約一二条、就業規則六五条により、協議機関を定めこれに表彰懲罰委員会の組合側委員を選挙し、大山勝美外五名を選任して会社側に通告し、じご右委員会は、毎月一回開催せられ、原告が本件の解雇処分を受けるまでの間に既に二回にわたり右就業規則新規定に基き制裁の審議がなされていることを認めることができる。
右認定事実によれば、一応右就業規則の新規定が代議員会の前記決議のとおりに成立した旨会社側より組合に通告せられ、各代議員において各職場における従業員らに相当の方法をもつてその旨の告知をしたものと一応推認することができる。右認定に反する原告本人の尋問の結果は措信し難く、他に右認定を覆えすに足る証拠は存しない。
以上によれば、右新規定は労働者側の意見を聴き、かつ、告知もなされたものであるから有効のものといわねばならない。
四、そこで被告主張の解雇事由たる事実の有無およびそれが就業規則所定の懲戒解雇事由に該当するかどうかについて考えることとする。
(一) 安全靴・帽子等の使用について
成立に争のない甲第六号証、乙第二号証、証人中島運の証言(第二回)によつて真正に成立したものと認められる乙第一三号証の一ないし七に証人早川克治・同仲井茂・同中島運(第一、二回)・同平井隆博・同後藤郁雄・同西山昌之の各証言および原告本人尋問の結果の一部を綜合すれば、次の事実が認められる。
(1) 被告会社においては自動車の窓枠製作等金属板を扱うところから、作業中の事故防止のために、「社是および従業員心得」(乙第二号証)なる小冊子の「服装」の項に
イ 作業衣は制服または所定のものを用い、帽子は所定のものを必ずかぶること。
ロ 作業用履物は全部靴を使用すること(靴以外の履物は特別の作業を除き危険である)。
ハ 女子の頭髪は固く結束して所定の帽子をかぶること。
ニ メガネ・マスク・手袋その他護具の使用は定められた作業には必ず使用すること。
等を定めてこれを全従業員に配布するとともに、職場の責任者をつうじて口頭で同旨の注意を与えていたが、昭和三七年二月頃「安全靴使用計画について」(乙第一三号証の一)という文書をもつて、男子従業員につき
イ 作業場における履物は指定作業靴を原則として履くこととする。
ロ 作業靴は適当なものを会社が指定して購入価格を一部負担する。
ハ 会社が負担する額は三割とし、会社が一括購入して三ケ月の賦払で徴収する。
ニ 一人一足とし、代品の提出を求めて更新して販売する。
ホ 銘柄は“緑十字”とし、販売部で扱うこととする。
旨指示し、指定靴として皮製靴の先端内側に金属板を張つた特殊靴を一括購入して従業員に金一、〇〇〇円を三ケ月で分割支払うこととして販売していた。
また帽子は布製の野球帽ようのものを指定して同様販売していた。
(2) 原告は製造部製造課第一係第二班(プレス班)に所属していたが右指定靴(安全靴といつていた)の使用を指示された当初はこれを購入し、同年四、五月頃まで使用していたところ、これが破損し、その頃水虫ができていたのと、購入代金の負担を嫌つたことから再度購入することはせずにズツク靴あるいはサンダルを履いて作業に従事し、また所定の帽子も着用しないことが多かつた。これに対して班長の早川克治や守衛は所定の安全靴および帽子を使用するようしばしば注意し、中島勤労課長も同様の注意をしたことがあるが、原告はこれに応じなかつた。
しかし原告の所属するプレス班だけでなく他の職場においても所定の安全靴および帽子を使用しない者は相当数おり、特に夏季は安全靴の通気がわるくて足がむれるのでこれを使用せずに、ズツク靴やサンダルを履いて作業する者が多かつたが、そのために懲戒処分を受けた者はなかつた。
(3) ところが被告会社は昭和三八年夏頃から安全靴使用の指示を強化し、女子従業員に対しても男子同様の安全靴を使用させることにするとともにこれを使用することができない事情のある者は勤労課にその旨申出でてその許可を受け、その許可を受けた者は胸に黄色のリボンをつけることとしたが、それでもなお不使用につき許可を受けない者はあとを絶たなかつた。しかしそのために懲戒処分を受けた者はなかつた。
右認定に反する原告本人尋問の結果の一部は前顕各証拠にてらして措信できず、他に右認定を左右するにたりる証拠はない。
右の事実からすれば、原告は使用者である被告の職務上の指示命令に違反したものといわざるをえないが、しかしながら、就業規則の解雇規定である六四条八号、一〇号、一二号に該当するとはいえない。
(二) 残業について
成立に争のない乙第三号証、証人早川克治の証言によつて真正に成立したものと認められる同第四号証の一、二、同中島運の証言(第一回)によつて真正に成立したものと認められる同第九号証の一ないし三に証人早川克治・同三宅周一・同仲井茂・同中島運(第一回)・同平井隆博の各証言および原告本人尋問の結果の一部に弁論の全趣旨を綜合すれば、次の事実が認められる。
(1) 被告は従業員五百数十名をようする中規模の会社であつて、その終業時間は午后五時であるが、残業(終業時間後の勤務)が恒常化して毎日二時間ないし四時間の残業が行われ、労働基準法の禁止する一八才未満の従業員に対してもこれが行われていた。
そしてこの残業は生産管理課において予め作成する出勤予定表にもとずいて各職場の責任者の指示によつて実施されていたが、原告は早川班長の残業指示に従わずに所定の終業時間がくると帰宅し、あるいはピンポンに興ずることが多く、また残業する旨答えながら残業しないこともあつて、その残業時間は他の従業員に比して著しく少なかつた。
(2) ところで被告は昭和三七年一月一日原告もその組合員である前記片山工業労働組合との間に労働基準法三六条にもとずいて四時間の時間外労働の協定(三六協定)を口頭で締結し(協定を締結したことは当事者間に争がない)、同年三月二九日、期間を同三八年二月二八日までとしてその旨行政官庁(笠岡労働基準監督署長)に届出でた。
右認定に反する原告本人尋問の結果の一部は前顕各証拠に対比して措信しがたく、他に右認定をくつがえすにたりる証拠はない。
そうすると、原告は四時間の範囲内においては被告の残業命令に従つて労働する義務があるかの如くであるが、しかしながら、三六協定はこれが締結されて適法な届出がなされた場合には、使用者は労働基準法三二条・四〇条および三五条違反の責を問われることなく当該協定の定めるところにより時間外労働および休日労働をさせることができるという刑事免責にその効力があるのであつて、時間外労働・休日労働に服すべき労働者の義務が三六協定から直接に生ずるものではなく、使用者が労働者の義務としてこれを命じうるためにはその権利が労働契約上使用者に与えられていなければならないと解すべきところ、被告が原告に対して時間外労働を命じうべき労働契約上の権利を有していたことについて被告は何らこれを主張立証するところがない。
のみならず、同法三六条によれば時間外労働・休日労働についての協定は書面をもつてこれを締結することを要し、書面によらない協定は無効である(行政官庁に届出でても同断である)というべきところ、被告と前記労働組合との右三六協定は文書によらずに口頭で締結されたにすぎないことは前認定のとおりであるから、右協定は無効であるというべく、したがつてこれにもとずく被告の残業命令は適法な職務命令たりえず、原告がこれに従わなかつたとしてもこれだけでは懲戒処分その他責を問われるいわれはないものといわなければならない。
(三) 印刷物配布について
原告が昭和三七年八月二一日の正午および一五時の休けい時間中に会社内において許可なく印刷物(乙第五号証)を配布したことは当事者間に争がない。
しかしていずれも成立に争のない甲第一、二号証、乙第五号証、証人西山昌之の証言によつて真正に成立したものと認められる甲第三号証、同中島運の証言(第一回)によつて真正に成立したものと認められる乙第八号証の一に証人早川克治・同富田正徳・同三宅克典・同中島運(第一回)同後藤郁雄・同西山昌之の各証言(ただし証人早川・同中島の証言については後記措信しない部分を除くその一部)および原告本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を綜合すれば次の事実が認められる。
(1) 被告会社は、自動車工場の伸展とともに近年急激に発展した会社であつて、その従業員数も急増したのであるが、労務管理の施策については、整備されておらず(就業規則の一部が労働基準監督局に届け出られたのが昭和三七年一二月である)、昭和三六年九月中島運が勤労課長に就任してのち、ようやく生産性の向上・企業の合理化を強調するとともに、提案制度、人事相談、苦情処理機関の設置等の一連の労務管理の方策が実施されるようになつた。
(2) 被告会社の従業員による労働組合は、昭和三六年秋頃結成され、当初は比較的活溌な活動をしていたのであるが、昭和三八年三月役員改選の結果、執行委員長に三宅周一、同副委員長に池田覚一、書記長に早川克治が就任してからは、組合員の要求事項をもつて会社と対決するのではなくて、むしろ会社に協力的な姿勢を示し、会社の意見を組合員に説得するという傾向を示した。
(3) 原告は、昭和一八年三月生れの青年であるが、昭和三六年夏頃からマルクス・レーニン主義の学習を通じて平和と民主々義の庇護を旗じるしとして青年の生活と社会的地位の向上のための全国的組織である「日本民主青年同盟」(以下民青という)に加入し、その井原班の班長となつたが、学習会に出席し、民青の主催する行事にも積極的に参加しており、前記労働組合の結成にあたつても、民青の仲間の応援を得て強力に推進したものであるが、前記のように三宅委員長となつてからの組合の活動方針に大きな不満を抱き、組合集会で発言しても少数意見として取上げてもらえなかつた。このような事情を職場での上司の係長が前記早川克治であつた関係もあつて、上司に反撥し、前記のように安全靴・制帽の着用について注意を受けても従わず、また残業にも従事しなかつたのであるが、一方若い組合員仲間に対して労働者としての意識を高め、組合活動を活溌にしようと考えるようになつた。
(4) そこで原告は、仲間の従業員に訴えて組合員としてのまた労働者としての意識を喚起するため、また将来はこれを組合新聞のもとにしようとの意図もあつて、その殆んどの文案は、前記民青の学習会で使用した教材を抜き書にして謄写版刷の四枚綴の文書(乙第五号証)を約二〇部作成し、許可なく印刷物を配布することを禁止されている会社構内に、持ち込み、そのうち一二、三部を自らまたは友人の後藤郁雄を通じて親しい仲間や組合活動を熱心にした従業員に配布した。
(5) しかして原告の配布した右文書の内容は
イ その一枚目に、「たたかう愛のために」と題して
(イ) 投稿形式の詩二編およびこれに対する所感としていつの時代においてもものを作りこれを動かすのは資本家ではなくして労働者であるから、労働者のひとりであることに誇りをもつべきことを説き、
(ロ) 「愛情は美しい平和な社会に育つ」として、封建思想の残存する日本の、しかも階級分裂とその対立のはげしい社会において、労働者の間に愛情が生れ育つのはむずかしいが、それでも大きな友情の輪の中からすばらしい恋人を見つけようと呼びかけ、
(ハ) そして資本主義から社会主義への歴史の歯車を止めないために結束し、共通の目的のために学びかつ意見を交換し合う労働者の新聞を出すについて原稿を募り
ロ その二枚目において
(イ) イタリア映画「二ペンスの希望」を紹介し、
(ロ) 「賃金とお給料のこと」として、「お給料」ということばの由来を説明し、その封建的色彩と、それが近代資本主義社会における「賃金」とは異質なものであることを説いて労働者の覚醒を促し、
ハ その三枚目において
(イ) 「歴史は常に発展する」として、世界の歴史は原始共産社会から奴隸社会へ、そして封建社会を経て資本主義社会へ、さらに現在では働く者の社会へと発展していると説き、しかしアメリカ帝国主義と日本の独占資本は核装備をして戦争を挑発し、共産党その他の民主団体・労働組合に対する弾圧を強化して憲法改悪を企図し、新聞・ラジオ・テレビ等を動員してきているから、これにごまかされないようにと一層の自覚を求め、
(ロ) 「帝国主義とは何ですか?」として、帝国主義は内にあつては労働者を搾取し、外に向つては植民地を求める狼であるが、その実は弱いハリコの虎であつて、内部矛盾の深化で自壊するであろうことを説き、
(ハ) 「私たちはなぜ合理化や生産性向上に反対するか?」として、資本主義社会における搾取と不況および戦争の必然的結びつきを説明し、合理化や生産性向上は戦争準備と不況時における馘首・賃金引下げに利用されるだけだから、労働者たるものはこれに反対しなければならないとし、
ニ 四枚目において「H・R(ヒユーマン・リレーシヨンズ)とは資本家(ニコポン)の手」と題して
(イ) 「ニコポン」とは職制が労働者をニコツと笑つてポンとたたくことであつて、出世を望む労働者の泣きどころをつくアメリカ式の労務管理であると定義し、
(ロ) 「ここは<K>社の重役室です。」と、常務が課長にニコポンの練習をさせている情景を描写して、それが搾取をいつそう強めるための技術・手段にほかならないことを説き、
(ハ) ヒユーマン・リレーシヨンズは労働者を企業意識わが社精神・労使協調・反ソ反共で労働者を盲目にし、組合を骨抜きにして御用組合にする制度であると指摘したうえ、その実例として個人接触法・提案制度・人事相談・苦情処理機関等一〇項目を挙げ、その目的が職務職階制賃金にして職制の思うままの賃金にすることにあるとした
ものである。
右認定に反する証人早川克治・同中島運(第一回)の各証言部分は前顕各証拠に照して措信できず、他に右認定をくつがえすにたりる証拠はない。
右争のない事実および認定事実からすれば、原告は会社内において許可なく印刷物を配布してはならないとの被告の指示命令に違反したことは争えないが、しかしながらその配布は所定の休けい時間中になされたのであるから、原告および原告から右文書の配布を受けた他の従業員の仕事には何ら支障を来さなかつたものというべく、またその内容についていえば、前記一枚目および二枚目ならびに三枚目の(イ)、(ロ)の記載はいずれも独占資本主義の本質は何かについて自己の歴史観・世界観を披瀝し、かかる独占資本主義経済体制下において労働者はいかにあるべきか、いかに考えるべきかについてその所信を述べたうえ、仲間の労働者に対してそのおかれた地位を深く認識して労働者としての、また労働組合員としての意識を喚起すべきことを訴えたものにすぎないのであつていわば原告の抱く思想をきわめて抽象的・一般的に表明したものというべきである。もつとも前記三枚目の(ハ)および四枚目においては当時被告のおしすすめていた合理化および生産性向上ならびに提案制度・人事相談・苦情処理機関等一連の労務管理施策を挙げてこれに反対するかのような記載があるが、これとても会社の施策に反対しこれを阻害することを企図したものではなく、合理化および生産性向上の意図するところは何か、右一連の労務管理施策は何を目的とするかについて一般的に説き、よつて労働者としてはこれを警戒しなければならないとしているものであることはその記載自体から明らかであつて、いずれにしても原告の配布した右文書は被告の名誉・信用を毀損し、またはその施策に反対して業務遂行を妨害する意図のもとに作成・配布されたものとは認められず、これに、前記配布部数およびその方法を考慮すると、その配布を受けた他の従業員をして会社に対する反感を助長させ、あるいは動揺させて職場の秩序を紊し、もつて会社の業務遂行を現実に妨害したことはもちろんのこと、これを妨害する客観的なおそれがあつたとも解しえない。
そうすると原告が右文書によつて表明した思想に対する被告の好悪はさておいて、原告の右文書の無許可配布は、被告の職務上の指示命令に違反することにはなるにしても、これによつて職場の秩序が紊されたということができない以上、被告の主張する前記就業規則六四条八号・九号および一七号の懲戒解雇事由には該当しないというべきである。
五、つぎに被告は原告に対する本件解雇は被告の有する懲戒権の行使として有効であると主張するけれども、懲戒事由および懲戒手続について就業規則に定めるところがある場合にはひとたび定立された就業規則は客観的な法規範として使用者労働者双方を拘束するにいたるものであるから、使用者は自らその有する懲戒権の行使を就業規則所定の範囲に制限したものというべく、したがつて就業規則所定の懲戒解雇事由に該当する事実がなければ有効に解雇することができないというべきである。従つて被告の右主張は採用し難い。
六、してみれば被告の原告に対する本件解雇の意思表示はその理由を欠くことに帰するから、原告の主張するその余の無効事由について判断するまでもなく、無効であるというべく、これが確認を求める原告の本訴請求部分は理由がある。
第二、金員支払請求について
(一) 被告が昭和三七年九月一日原告に対してなした解雇の意思表示は無効であること前認定のとおりであるから、原告は同日以降も依然として被告会社の従業員たる地位を有するものというべきところ、原告が右解雇を受けた当時一日金四二五円の賃金で毎月少なくとも二二日間以上稼働し、右賃金は毎月末日に一括支給されていたことは当事者間に争がない。
(二) そうすると被告に対し昭和三七年九月一日から毎月末日限り一ケ月金九、三五〇円の割合による賃金相当額の支払を求める原告の本訴請求部分もまた理由がある。
第三、結論
よつて原告の本訴請求はいずれも正当としてこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 柚木淳 井関浩 金野俊雄)
(別紙省略)